歴史 イタリア > ローマ
(ろーま)
ローマ帝国。
前8世紀
イタリア人の一派ラテン人がティベル河畔に小都市国家ローマを形成、王政。
のちにエトルリア人の王に支配されるが、前6世紀末に王を追放、共和政となる。
- 前450頃 十二表法が制定(ローマ最初の成文法)
- 前287 ホルテンシウス法制定
- 前272 タレントゥムを屈服させイタリア半島を統一
- 前264-前146 カルタゴと3回のポエニ戦争
- 前162 マケドニア王国を滅ぼす
- 前148 マケドニア王国を属州にする
- 前146 カルタゴを滅ぼし、その旧領をアフリカとよぶ属州にする
- 前146 ギリシアのコリントを徹底的に破壊
- 前64 セレウコス朝を滅ぼす
- 前46 カエサルがユリウス暦を実施
- 前31 アクティウムの海戦、プトレマイオス朝を滅ぼす。エジプトを属州とし、地中海世界を統一
- 前27 共和政から元首政となる
- 43 ブリタニアを属州とする
- 64 ネロ帝が暴政を行う
- 96 五賢帝時代(-180)
- 2世紀後半 ゲルマン人、パルティア、ササン朝の侵入が激しくなる
皇帝
- アウグストゥス
- ティベリウス
- カリグラ
- クラウディウス
- ネロ
- (68-69 4人の皇帝)
- ウェスパシアヌス
- ティトウス
- ドミティアヌス
- 五賢帝
- ネルウァ
- トラヤヌス
- ハドリアヌス
- アントニヌス=ピウス
- マルクス=アウレリウス=アントニヌス
- コンモドゥス
- セプティミウス=セウェルス
- カラカラ ゲタ兄弟
- セウェルス=アレクサンデル
- マクシミヌス
- 235-284 軍人皇帝時代、18人
- ディオクレティアヌス 専制君主制開始
- コンスタンティヌス
(あうぐすとぅす)
前63-後14。ローマ帝国の初代皇帝。
在位は前27-後14。
前名はガイウス・オクタウィウス。母はカエサルの姪。
- 前44 カエサル暗殺、遺言により主要相続人、養子となる、ガイウス・ユリウス・カエサル・ウィアヌスに改名
- 前43 三頭政治に加わる
- 前31 アクティウムの海戦でアントニウスを破る
- 前30 エジプトを支配下におく
- 前29 元老院首席となる、元首政開始
- 前27 元老院よりアウグストゥス(尊厳者)の称号を与えられる
- 前12 大神祇官長となる
(かえさる)
古代ローマの政治家。英語名はシーザー。
前100-前44。
- 前77 政界に入る
- 前61 第1次三頭政治を形成
- 前48 ポンペイウスを破る
- 前44 終身の独裁官となる
- 前44 共和派により暗殺される
(ておどしうす)
4世紀末のローマ帝国皇帝。
在位379-395。
- 379 グラティアヌスと共同統治
- 383 グラティアヌスを暗殺
- 392 異教徒禁止令、アナタシウス派キリスト教が事実上の国教となる
- 395 死去
息子のホノリウスが西ローマ皇帝、同じく息子のアルカディウスが東ローマ(ビザンチン帝国)皇帝となった。
(にしろーまていこく)
395年にローマ帝国が分裂してできた国。
476年にゲルマン人(オドアケル)に滅ぼされ滅亡。
(びざんちんていこく)
東ローマ帝国、ビザンツ帝国とも。
正式にはローマ帝国と名乗っていた。
395年にローマ帝国が分裂してできた国。
首都はコンスタンティノープル(現トルコのイスタンブール)。
国名の由来は首都のギリシア語読み(ビザンティオン)より。
公用語は当初はラテン語、7世紀頃からギリシア語に変わっていった。
- 610-711 ヘラクレイオス朝
- 867-1056 マケドニア朝
- 1081-1185 コムネノス朝
- 1185-1204 アンゲロス朝
- 1204-1261 ラテン帝国
- 1261-1453 パライオロゴス朝
- 476 西ローマ帝国が滅亡
- 533 ヴァンダル王国を征服
- 555 東ゴート王国を滅ぼす
- 6世紀中頃 地中海世界を再統一
- 6世紀後半-7世紀 領土がバルカン半島と小アジアに縮小
- 7世紀 公用語がラテン語からギリシア語に変更、ギリシア化が進んだ
- 726 レオン3世が聖像禁止令を出す(843解除)
- 1018 ブルガリア王国を併合
- 1054 東西教会分離、ギリシア正教会が成立
- 1204 十字軍がコンスタンティノープルに侵攻、ラテン王国(-1261)樹立
- 1261 ビザンツ帝国再興
- 14世紀 オスマン帝国が侵入
- 1453 コンスタンティノープルが占領され、滅亡
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