東南アジア > タイ
(たい)
Kingdom of Thailand.
旧称はシャム。
言語はタイ語。
- 7世紀 モン人がドヴァーラヴァティー王国を建国
- 10世紀 ドヴァーラヴァティー王国が滅亡
- 1238 スコータイ朝(-1350)、メナム川流域
- 1351 アユタヤ朝(-1767)
- 1438 アユタヤ朝がスコータイ朝を併合
- 1767 ビルマが侵攻、アユタヤ朝滅亡、コンバウン朝が支配
- 1767 タークシンがビルマを撃退、トンブリー朝を開く
- 1778 ビエンチャンを支配下とする
- 1782 タークシンが処刑、チャクリがラタナコーシン朝(バンコク朝、チャクリー朝)をたてる(-現在)、首都はバンコク
- 1827 ビエンチャンを破壊、併合
- 1893 フランス=シャム条約、ラオスの宗主権を放棄
- 1932 民主制に移行
- 1939 シャムからタイに改称
- 1997 通貨バーツの対ドル交換比率暴落、アジア通貨危機の原因となる
都市
(あゆたやちょう)
タイの王朝。1351-1767。
都はアユタヤ。
日本ではシャムロと呼ばれた。
- 1351 建国、始祖はラーマティボディ
- 1432 カンボジア、アンコール朝を滅亡させる
- 1569 ビルマの攻撃によりアユタヤが一時的に陥落
(しゃむ)
タイの旧称。
(すこーたいちょう)
タイ人最初の王朝。都はスコータイ。
中国史料では暹(せん)と呼ばれる。
ラーマカムヘン王の時代には南ビルマ、マレー半島、カンボジアにまで進出した。
またタイ文字を創案した。
(だいり)
大理国。
10世紀にタイ族がたてた国。
13世紀にモンゴルに征服された。
(ちえんまい)
タイ北西部の都市。人口17万(2000)。
かつてはラオ族の王国の首都だった。
- 1296 ラーンナータイ王国首都となる
- 19世紀 トンブリー朝に併合
(ちゃくりーちょう)
ラタナコーシン朝を参照。
(とんぶりーちょう)
タイの王朝。
- 1767 タークシンがトンブリで王朝を開く
- 1782 王が精神異常をきたし処刑
(ばんこく)
タイの首都。
バンコクは外国人の俗称。正式名称は非常に長い。
地元では正式名称の頭をとり、クルンテープと呼ばれる。
人口690万(2009)。
- 1767 ビルマ軍がアユタヤを破壊、首都がトンブリーに移る
- 1782 首都がクルンテープに移り、チャクリー朝の首都となる
- 1972 トンブリーを合併
(らたなこーしんちょう)
タイの王朝。チャクリー朝、クルンテープ朝、バンコク朝とも。
クルンテープはバンコクの正式名称の始めの部分。
- 1782 チャクリ(ラーマ1世)が創始、首都はバンコク
Generated by ldiary3.00beta t2h3_method 2008/09/28