歴史 日本 > 鎌倉時代
(かまくらじだい)
1192-1333。
鎌倉幕府の成立年は諸説ある。
- 1202 北条時政が執権となる
- 1202 源頼家が将軍になる(-1204)
- 1204 源実朝が11歳で将軍になる
- 1213 和田合戦
- 1219 源実朝が公暁により暗殺される
- 1221 承久の乱、上皇方が敗北
- 1221 北条泰時が六波羅探題に任命
- 1226 九条頼経が将軍になる
- 1232 御成敗式目を制定
- 1244 九条頼嗣が将軍になる
- 1272 皇位継承をめぐり皇統が大覚寺統と持明院統に分離
- 1274 文永の役、元が襲来
- 1281 弘安の役、再び元が襲来
- 1318 後醍醐天皇が即位
- 1324 正中の変
- 1331 元弘の変、失敗し天皇は隠岐に流された、幕府は持明院統の光厳天皇をたてる
- 1333 鎌倉幕府が滅びる、建武の新政
- 源頼朝
- 源頼家
- 源実朝
- 九条頼経
- 九条頼嗣
- 宗尊親王
- 惟康親王
- 久明親王
- 守邦親王 1308-1333
鎌倉文化
- 新古今和歌集
- 方丈記 鴨長明
- 徒然草 吉田兼好
- 平家物語
(ごせいばいしきもく)
貞永式目とも。
鎌倉幕府が制定した武家に関する法律。
(しっけん)
鎌倉幕府の最高職。将軍を補佐し、幕政を統轄する。
第3代将軍源実朝のときに北条時政が就任した。
以後は北条氏が世襲した。
(じとう)
(0).平安時代末期に、在地で荘園管理にあたった荘官。
(1).鎌倉時代の職の一つ。
全国の荘園・公領に置かれた。
のちに領主として実権を握るようになった。
承久の乱以前は本補地頭、それ以後は新補地頭と呼ばれた。
(じょうきゅうのらん)
1221年、朝廷と鎌倉幕府の戦い。
後鳥羽上皇が幕府の内紛に乗じて挙兵し戦ったが敗北、
後鳥羽・土御門(つちみかど)・順徳の3上皇は配流され、
幕府の勢力は西に伸びた。
(へいけものがたり)
鎌倉時代の軍記物語。作者は不詳、信濃前司行長説が有力。
祗園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、
唯春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、
偏に風の前の塵に同じ。
(ろくはらたんだい)
鎌倉幕府の職名の一つ。
承久の乱のあとに京都の六波羅に設置された。
執権に次ぐ職。北条氏一門から2名選任された。
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